メンタリズムとメンタルマジックの違い

「メンタリスト」と「メンタル・マジシャン」の違い、と言ってもいいかもしれないが。

これについては多くの人達が議論してきたことであるし、これからも多くの人が議論していくであろう。そして人によってそれぞれ持論があるだろうし、僕自身、ここに書く考えが絶対的に正しい、と思っているわけではない。

ただ現時点で僕が信じている考えであり、また賛同する・しないにかかわらず、この問題を真剣に取り組むことで、あなたがただの「メンタル・マジシャン」から本当の「メンタリスト」になる手助けになる、と信じる次第である。

さて、マジックをやる人の中に、自分を「マジシャン」と名乗らない人がいる。

「○○パフォーマー」だの「マジカル××」だの、いろんな名乗りがあります。

多分、他のマジシャンと差別化するためにやっていてるんでしょう。それはそれで良いと思うのですが、やっていることを見ると、他のマジシャンとやっていることは変わらない。

本人的にはそれなりに理屈があって普通のマジシャンとは違う! ということなんでしょうけど、お客様から見ると、やっていることも印象も、普通のマジックに見えると思うのです。

(そうじゃない例をご存知の方は、ぜひご連絡ください)

「メンタリスト」にも同じようなことが言えると思うのです。

どんなに「メンタリスト」を自称していても、「なんかやったんでしょ(トリック使ったんでしょ)?」を思われたら、つまりマジックをしたと思われたら「メンタル・マジシャン」だと思うのです。

たとえ実際はトリックを使わず純粋に心理的なサトルティだけを使っていたとしても。

逆に、小学生が知っているようなトリックを使っていたとしても、お客様に

「これ、マジックじゃないよ!(本物の超能力じゃない?)」

と思わせることができれば、メンタリズム/メンタリストとして成立するんじゃないかと思うのです。

つまり、パフォーマー側がどう思っているとかどう定義しているかよりも、お客様がどう思うか、でメンタリストかメンタル・マジシャンかが決まる、と思うのです。

もちろん、パフォーマーの定義を観客側に受け入れさせなければ、十分とは言えませんが。

つまりパフォーマーが「心理学を使って思考を読み取っている」と主張するなら、お客様にはそう思わせなければいけませんし、「超能力」を使っているという体でやっているのなら、お客様に「超能力だ」と思わせなければならない、ということです(その最も成功した例が、あのユリ・ゲラーです)。

まあこれはメンタリズムだけの話ではなく、本来は普通のマジックにも言えることでした。

ローベル・ウーダン曰く「マジシャンとは、魔法使いの役を演じる俳優である」

本来はお客様に「本物の魔法だ」と思わせる芸術だったはずなのです。

今では半分ジャグリングのような扱いになっていますが。

まあそれも時代の変化に合わせた見せ方なのかもしれません。

そういう意味では、メンタリズムは今の時代に受け入れられやすい「魔法」なのかもしれません(特に心理学を使うと主張するサイコロジカル・メンタリズムは)。

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